「おう、どうしたんだ?」
サフィールが一人戻って来たのを見て、先ほどの幽霊が驚いた顔をして声をかけてきた。
「ちょっとお聞きしたいのですけれど」
言いながらサフィールはちょっと周囲を見渡した。
「戦士団の中に、“無限の魔法力を持つ魔術師”がいるという噂を聞いたのですが……」
通常、魔法力というものは有限だ。個人の資質によってその力に差はあるが、どんなに高位の魔術師でも魔法力を使い果たせば魔法は使えなくなる。普通はきちんと休息を取らない限り魔法力は回復しない。無限の魔法力を持つという事はつまり無制限に魔法が使えるという事だ。その無限の魔法力の秘密を探る事こそが、今回サフィールが遠征に参加した目的だった。
「あぁ、ザード様の事だな」
幽霊は事もなげにうなずく。
「ザードさんとおっしゃるんですね。どちらにいらっしゃいます?」
サフィールは内心ホッとしながらたずねた。はじめに噂を聞いた時は半信半疑で、複数の証言を得て信憑性の高い情報だと判断したからこそわざわざこの街までやって来た訳だが、それでもやはりそんな真似の出来る人物が本当に存在するとは信じられない気持ちも強かったのだ。
「ザード様は…そうだなぁ、多分トレーダーズギルドにいるんじゃないかと思うが……」
「トレーダーズギルド?」
ここから更に奥に進み、街の一番中心にトレーダーズギルドが建っている。商業の都であったここロンダルの商館全てを取りまとめ、政治を取り仕切る街の中枢だ。
ザードというのは、伝説の三剣士に次ぐ剣の戦士団の四番手。戦士団の中では珍しい純粋な魔術師、それも複数の魔術を操る高位の魔術師で、街の議会にも名を連ねる有力者だったという。
「分かりました~、ありがとうございます」
サフィールはにっこりと頭を下げた。
「ところで……」
顔を上げながら笑顔のまま上目遣いに相手を見上げる。
「もう一つお願いがあるんですけど」
「おう、何だい?」
何でも言ってみな、と言わんばかりの勢いの幽霊達だったが、
「そのお酒、ちょっとでいいから分けて頂けません?」
サフィールのその言葉を聞いた途端、
「いや、こいつはちょっとな……」
と顔を曇らせ、曖昧に言葉を濁す。
「悪いな、これは嬢ちゃんには飲めない酒なんだ」
「わたしが飲むんじゃないですよ~。お酒好きの人には喜んで頂けそうなものですから」
高値で売れるかなと、とまで口に出しはしなかったがそう食い下がるサフィールに、
「いや、嬢ちゃんだけじゃなくて、普通の人間には飲めない酒なんだよ」
「え~、なんでです?」
サフィールは首をかしげた。確かに黒くて泡立っていて、あまり見た事のない酒のようには思える。
「ゴースト用のお酒なんですか?」
「いや、そういう訳でもなくて……っていうか、そもそも俺らにももう飲めないんだけどな」
言われてみれば、杯に注がれた酒は先ほどから減っている気配がない。幽霊達には飲食の必要がない上に物質をすり抜けてしまうのだろう。
サフィールが他に理由も思いつかないまま尚も不思議そうな顔をしていると、
「もう今更、隠す必要もないだろ。話してやれよ」
と、横合いから別の幽霊が口を挟んで来た。
「いや、そりゃやっぱまずいだろ」
「どのみち、この嬢ちゃん達が封印を解いたら、俺らはここにはいられなくなるんだ。いずれ分かる事だろうよ」
「そうそう、その前に誰かに知っておいてもらおうぜ」
「わざわざ知らせる事でもないだろうが。むしろずっと隠しておくべきだろ」
「そうだよ、今のうちにこの酒全部捨てちまおうぜ」
周りの幽霊達まで巻き込んで、しばらく意見が別れていたようだが、やがて幽霊達は少し改まった顔つきでサフィールの方へ向き直った。
「これはな、“穢れの酒”っていう酒なんだ」
「……穢れの酒、ですか?」
言われて聞き覚えがあるかどうか記憶を探ったサフィールは、思い当たった瞬間、思わず小さな悲鳴をあげて口を両手で覆った。
「…じゃあ、あなた達のその姿は……」
おや、と幽霊達が表情を動かす。
「博識だな、嬢ちゃん。この酒がどんな物だか知ってるのかい?」
「……蛮族社会ではそれなりに造られていると、聞いた事はあります……でも、人族が飲んでいるなんて…まず有り得ない……」
選ぶ余裕もなくこぼれ落ちたサフィールの言葉に、あちこちで嘆息や苦笑が漏れた。
それは、尋常ではない能力を得るのと引き換えに、穢れを受ける可能性のある酒だった。酒の仕込みの時に蛮族の身体の一部、例えば角や羽根や、血などを混ぜて造られるというその酒は、蛮族社会で造られてはいても人族が造る事はまずないと言っていい。この酒によって通常では考えられない強い能力を獲得したり、その原料となった蛮族の能力、つまり羽根が生えて飛行能力を獲得したり、といった強力な効果がある一方、時として魂には穢れが溜まってゆく。
「……分かったろう?これは、真っ当な人間には飲ませられないって事が」
言われて、サフィールは細かくうなずいた。
「そうでもしなきゃ、やってられなかったしな」
幽霊が独り言のようにしんみりとつぶやいたその直後、
「おい、サフィール」
酒場の扉がいきなり開いてヴァルドが顔を覗かせた。
「何やってるんだ?そろそろ行くぞ」
「……今、行きます」
心なしか苛ついた様子のヴァルドにやっとの思いで答えると、サフィールはもう一度幽霊達に頭を下げて扉へ向かった。それ以上、幽霊達にかけるべき言葉が思いつかなかった。
ヴァルドに続いて明るい日差しの中に戻ったものの、サフィールは両腕で自分の体をぎゅっと抱き締めた。まだ体が震えているような気がする。
「……どうかしたの?」
サフィールの様子を見て、カサンドラが心配そうに声をかけてきた。
「いえ……ごめんなさい」
反射的に謝りながら、サフィールは少し迷った。しかし、何も説明せずに済ます訳にはいかないだろうし、説明したところで困る必要はない事だけ話せば良い事だろう。
「あのお酒の話を聞いてました」
その言葉に、ヴァルドが一瞬わずかに眉をひそめたのが視界の端に映った。
「ああ、さっき気にしてたみたいだものね。やっぱり何か変わったお酒だったの?」
何の気なしに聞いてくるカサンドラはじめ全員に、サフィールはあれが穢れの酒だという事、そしてそれがどういう物であるかを伝えた。
カサンドラは驚きを露わにしたが、ヴァルドは終始表情を動かさなかった。
「それで、みんな角があったり羽根があったりしたんだね?」
ウェンディーネもさすがに驚いたようだったが納得したように何度もうなずいている。
「そんな思いまでして、戦っていたなんて……」
「そうでもしなきゃ、やってられなかったんだろうさ」
まだ信じられない思いのカサンドラの言葉に、間髪を入れずにヴァルドが答える。
しばらく、カサンドラは返事の言葉を探しているようだったが、
「……そうね、そうまでして、街の人達を守ってくれたのね」
と、自分の言葉をかみしめるように答えた。
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