「……可能性がない訳ではないが」
しばしの沈黙の後、ザードが重い口を開く。
「封印をどれか一つ解く事が出来れば、守りの剣の力が周囲に及ぶ。そうすれば、彼らも正気を取り戻すはず。それからなら話をする事も出来よう」
サフィールがその言葉の意味するところをよく考えてみるまでもなく、
「隊長達の誰かひとりを犠牲にしろと!?」
ヴァルドが声を荒げ、実体のないザードに掴みかからんばかりの勢いで食ってかかる。それにはザードも口をつぐみ、言葉を返して来なかった。
「そもそも、封印を解くためには彼らを倒す必要がある訳ですよね……」
サフィールがまた溜め息をつく。結局のところこれでは堂々巡りだ。
再び、深い沈黙がその場を支配した。
「ひとつだけ、方法があるには、ある」
考えた末に、再びそう切り出したのはザードだった。そして、透き通る緑灰色の瞳でカサンドラの方を見やった。
「白の騎士と同じ力を持つ、そなたなら……」
「そうか、カサンドラ!」
ザードの言葉が終わるのも待たず、ヴァルドが声を上げ、がしっとカサンドラの両肩を掴む。
「お前なら、囲みを突破する事が出来る…!シルヴァーナ様を倒さなくても……!」
しばらく、カサンドラは驚きのあまり身動きさえ出来なかった。何を言っていいのか、思考すら停止してしまったかのように言葉が出てこない。ヴァルドがこんなにも感情を露わにしたのにも驚いたが、それより何よりも……
「シルヴァーナ様……?それが、あの方の名前……?」
やっとの事でそう言葉がこぼれ落ちる。
「ヴァルド……あなたは一体、何者なの?」
肩を掴まれたまま、カサンドラは真正面からじっとヴァルドを見返した。
「ずっとあの方に憧れ、あの方の背中を追って来た私でさえ、あの方のお名前は……いえ、女性だという事さえ知らなかったわ……それなのに……」
カサンドラの口調は責めるようではなかったし、妬みや悔しさなどではなく、純粋な疑問に満ちていた。
知らなくとも無理はないのだ。三人の旗頭達は、それぞれの武具の色で呼ばれていたから、本名を知る者はそう多くはない。街中で甲冑を脱ぐ事もなかったから、素顔さえ見た事がない方が普通だ。
「それなのに、あの方のお名前を親しげに口にするあなたは、何者……?」
「……親しげに?」
言いながらもヴァルドは、カサンドラの強い視線に目をそらしてしまう。
「親しげになど呼べないさ。俺達にとって、あの方は英雄だ。そうだろう?」
カサンドラと目を合わせないまま、ヴァルドはそう答えた。
「俺も、お前と同じだ。昔、この街に住んでいた……あの方には、ひとかたならぬ世話になった、ただそれだけの話だ」
確かに、カサンドラとヴァルドの歳はそう変わらないように見える。もしかしたら同い年かもしれない。それならば、同じ頃に街に暮らしていて、同じ頃に街を離れていたとしてもおかしくはない。だが、ただそれだけでは納得出来なかった。
「でも……」
考えもまとまらないままに、カサンドラは更に何か言おうとした。しかしヴァルドの態度にはよそよそしいまでの拒絶が見てとれて、それ以上問いただすのもためらわれた。納得出来ない事をそのままにしておくのは意に添わないが、仕方ない事なのだろうか。
「……ヴァルド…と言ったか……?」
それまで2人のやりとりを見守りながら眉間に皺を寄せ、何事か思い出そうとしていたらしいザードが、改めてヴァルドを怪訝そうに眺めやる。
「ヴァルド……あのヴァルドか?シュヴァルツ様が、目をかけておられた……?」
その言葉を聞いた途端、ヴァルドの瞳に動揺が走った。がっくりとうなだれたヴァルドはやがて観念したように顔を上げ、しっかりとザードを見てうなずいた。
「……あれから、15年が経ちましたが」
「そうか……」
今まで険しかったザードの表情がゆっくりと和らいだ。
「ずいぶん大きくなったものだ。まだ、ほんの子供だったのにな……」
感慨深そうに目を細め、うなずく。
「その様子だと、普通に暮らせているようだな」
「はい……幸せに、暮らしています」
その言葉に含まれた一瞬の迷いに、ザードはわずかに苦い顔をして目を閉じた。
「お前達が剣の封印を解くと言うのなら、この街を見守る必要もなくなる……我らの時代は、終わったのかもしれんな……」
半ば自分に言い聞かせるようにそう言うと、穏やかな表情で微笑むザードの姿はすーっと薄れてゆき始めた。
「ザード様!」
頭で考えるよりも早く、ヴァルドは慌てて消えゆくザードに呼びかけた。
「戦士団の戦いがあったからこそ、皆無事に逃げる事が出来た……今でも、戦士団の事は伝説として語り継がれているんです」
「そうですよ、今の私がここにいるのも、街の人が今幸せに暮らしていられるのも、皆様方のおかげです」
今まで言葉を挟む事が出来ずにいたカサンドラも急いで横から言い添える。
かなり薄らいでいたザードの姿が、今一度しっかりと見えるまでに戻ってきた。
「……もう少し、昔語りをさせてもらえるかな」
独り言のようにつぶやくと、ザードは空を見つめて話し始めた。
「我らはもう、とっくの昔に限界だったのだよ……倒しても倒しても、すぐに新手がやって来る数千の蛮族に対し、味方はわずかに千人。無残な姿で殺された仲間を無理矢理にでも蘇生させ、また戦場へと送り込む…それが私の役割だった。この私とて、腹を割かれ、腕をもがれ、脚を潰され…そんな目にも遭ってきた。私が倒れた時には弟子が私を蘇生させる。その繰り返しだった……そう、あの酒の力を借りながらだ」
そう静かに話す今のザードの表情には、何の感情も見てはとれない。
「あの酒がなければ蛮族には対抗出来なかっただろう…しかし、その力を得るために穢れをも取り込み、人の道を外れていった我らは、既に正気を失っていたのかもしれない……私が言う事ではないのだがな」
自嘲気味に言うザードこそが、穢れの酒の危険性を知りながらそれを仕込み、造っていた本人だという事を既にヴァルドは聞いていた。
「我らが逃げる事は許されなかった。その中で皆、よく戦ってくれた……我らの戦いに意味があったとしても、お前を巻き込んでしまった事は許される事ではないが……」
自分に向けられた最後の言葉に、ヴァルドは力いっぱい首を横に振った。ザードや旗頭達のせいではないのだ。ましてや、決して皆を恨んでなどいない。だが、それを上手く言葉にする事が出来なかった。
「……あの、聞いてもいいですか?」
わずかに流れた沈黙を破ったのはサフィールの声だった。
「あなたは、無限の魔法力を持っていると聞きました。それもあのお酒に関係のある事なんでしょうか?」
サフィールの問いにザードはどう答えたものか少し考えたようだったが、
「それは、そうでもあり、そうでもない」
「……どういう事です?」
捉えどころのない答えにサフィールが首をかしげていると、
「では、見ているがいい。これが無限の魔法力のからくりだ」
ザードはそう言って立ち上がると杖を構え、何やら呪文を唱え始めた。それは何の変哲もない防護魔法だったが、異変は目に見える形で現れた。目の前に光の盾が創られてゆくのと同時に、ザードの体に幾つもの傷が刻まれていったのだ。実体はないので血こそ流れないものの、見るからに生々しい傷だった。だが、すぐにその傷は少しずつふさがっていく。酒の力で肉体の再生能力が備わっているようだ。続いてザードは回復魔法を唱え、傷を完全に治すとサフィールの方へ向き直り、手にした杖を差し出した。節くれだった木に、血のようにどろりと深い赤色をした宝玉がはめ込まれた杖を見て、サフィールはやっと何が起こったのかを理解した。
「これは……メイガス、ですね?」
差し出された杖をサフィールは恐る恐る手に取った。使いこなせる者も極めて限られる最高位の魔法具を実際に見たのは初めてだ。魔法を使う際に、魔法力を消費する代わりに生命力を消費する事で肩代わりさせるという杖を話には聞いた事がある。
「分かりました……ありがとうございます」
サフィールはザードに丁寧に頭を下げ、手にした杖をきちんと返した。
つまり、ザードはこの杖の力で傷を負いながら魔法を使い、その傷を治しながらまた魔法を使う、という事を繰り返していた、それが無限の魔法力という仕組みだったのだ。
「分かりましたが、残念ながらわたしにはとても真似出来そうにはありません。生半可な気持ちで真似の出来るものでもなさそうですし」
正直な思いだった。それでも、探していた謎の答えを聞く事の出来たサフィールの気持ちはすっきりしていた。
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