「学院で思いつく限りの事は試してみた後ですものね」
腕組みをしたラッシュとシグルーンが箱を見つめる横で、
「とりあえず思いついた事試してみればいいんじゃないの?最悪、箱が壊れても中身さえ無事ならいいって事でしょ?」
と、ディルだけは相変わらず気楽そうだ。
しかし思いつく事と言ってもそうそうすぐに良い案が出てくるものでもない。
皆が箱を前に考え込んでいると、またもや扉の開く音が聞こえた。ほぼ全員が同時に振り返る。
扉を開けたまま店内を見渡していたのは、上質の柔らかな茶色のローブに痩せた身を包み、豊かな髭を蓄えたそろそろ初老に差し掛かろうかという魔術師の姿だった。一見地味なローブだが、実はその背中側には学院の紋章が金糸で縫い取ってある事をマリウスは知っている。
「ライ先生!何故、先生がこのような場所に?」
マリウスは扉の方に向かいながらそう声をかけた。
先程キャナルがじじい呼ばわりしていた学院の長老の一人であるエン・ライは多少場違いに居心地悪そうではあったが、マリウスの姿を認めてほっと表情を緩めた。
「マリウスか、良い所にいた」
言いながらライもこちらに歩み寄って来る。
「実はキャナルがあれを学外に持ち出しおってな」
「……あれ、とおっしゃいますと」
「ザードの箱だよ。お主も研究しておったろう。あれを事もあろうに冒険者に一任すると言い出しおったので、その依頼を差し止めに来たところじゃ」
ライの言葉が終わるよりも早く、
「なるほど、妨害というのはこれの事だな」
腕組みしたままのラッシュが、独り言にしては大きな声で呟く。
「お主、どの冒険者が箱の依頼を受けたか知っておるか?」
「え、えぇと、それはですね……」
色々な意味で冷や汗をかいているマリウスの背後で、突如ガンガンガン!とけたたましい音が鳴り響いた。ほとんど反射的に振り向くと、周囲の事など一切気にしないディルが箱を両手で持ってテーブルに力いっぱい叩きつけているではないか。
「あーっ!」
「わーっ!」
箱を指差すライに、それを慌てて背後に隠そうとするマリウス、そんな事にはまるで頓着せず箱を叩き続けるディルのせいで、店内は一気に騒然となってしまったのであった。
「なるほど、お主らがこの依頼を受けた、と……」
やっとの事落ち着いて席に着くと、ライは改めてマリウスと一同の顔をぐるりと見渡した。
「ふむ…まあ、お主なら学院の事情も分かっておる事だし、差し支えないかのぉ……」
うなずくライは、どうやら今すぐ依頼の差し止めという訳ではなく、とりあえず話は聞いてくれるようだ。
「そもそも、何であんた達は箱を開けたくないんだ?」
ラッシュがいきなり聞きにくい事をずばりと聞いた。
「開けたくないとは言っておらんよ」
それに対してはむしろ意外そうな顔でライはそう答える。
「この箱、ザードって人が置いてったんじゃないの?」
ディルの問いに、ライは首を横に振った。
「学院のために置いて行った訳ではない。元々はあやつが最期まで持ち歩いていた物じゃろう」
ライが言うには、この箱はザードの死後、市場、それも闇市に近いものに出回っていたところを、学院の魔術師が偶然発見して買い取って来たのだという。それから十数年、開ける事が出来ないため、何が入っているのかも、誰のための物なのかも謎のままなのだと。もしかしたらザード本人のための物だったかもしれない。
「あら、でも、この中には無限の魔法力の秘密が入っているという前提で研究が進められていたのではありませんの?」
シグルーンが遠慮がちにマリウスの方を見やりながらライにたずねる。
「分かった、では腹を割って話そう」
そう言ってしばらくライは言葉を探すように考えていたが、やがて意を決したように口を開いた。
「我々にはな、この中にあの無限の魔法力の秘密が入っておるとは到底思えんのだよ」
「え?」
「それって……」
予期せぬ告白に全員が一瞬返す言葉を失う。
「とても、この中に入るとは思えんのでな」
重ねてライが言い直した言葉に、皆とまどって顔を見合わせた。
「つまり……」
「この箱に、入らない大きさだって知ってる訳だよねぇ?」
「学院の長老方は、無限の魔法力の秘密を既にご存知ですのね?」
矢継ぎ早に飛び出す質問にライが大きくうなずくのを、マリウスは呆然と見ていた。
無理もない。今までの自分達の努力、先の見えない研究に諦めず向かっていた日々は一体何だったのか。キャナルのような長老不信派を説得する矢面に立っていたのもマリウスだというのに、それさえも信じられなくなりそうだった。
「実際に、すぐそばで目にしていたからの」
「ならば、どうして……」
シグルーンの問うのは当然の疑問であったろう。若手が箱を開けようと躍起になっていたのは当然知っていたはずだ。確かに、はじめから長老達が協力的でなかったとは聞いている。しかし、それならば早めに研究を打ち切らせた方が学院にとっても、研究者達にとっても、時間や労力や費用など様々な物を浪費せずにすんだのではないだろうか。
「対立を深めぬようにだよ」
静かに答えるライの声は落ち着いていた。長老達にしてみれば、自分達が既に無限の魔法力の秘密を知っていると明らかにする訳にはいかなかった。何故なら、方法さえ分かるならば、真似をしてみようとする若手が後を絶たないであろう事は想像に難くないからだ。勿論、力量の足りない者がおいそれと真似の出来るものではないが、それでも好ましくない事に変わりはない。かと言って、納得のいく理由も告げずに研究を打ち切らせようものならそれこそ猛反発されるのは火を見るより明らかだ。
「無限の魔法力というのは外法も外法、裏技どころか反則もいいところだよ。だいたい、あいつは、あいつはなぁ…」
今まで穏やかに話していたライの表情が急に歪む。
「そもそもあいつはひどい奴だぞ、外道だぞぉ、それがどうだ、わしらと一緒に逃げる事を拒否して討ち死にしおってからに、今じゃ英雄扱いだ。だいたいなぁ……」
興奮して普段の威厳もかなぐり捨て、若かりし頃の事を思い出したかのようにザードを罵るライを皆、唖然として見つめる事しか出来なかった。
「ま、まあまあ先生……」
やっと我に返ったマリウスが慌ててライをなだめにかかる。
「まあ先生、落ち着いて、どうぞ一杯」
「わしゃ酒は飲まん」
「で、ではお茶でも一杯」
マリウスが勧めた茶碗を取って一気に飲み干したライは、
「たとえ英雄だと讃えられようが、死んでしまっては何にもならんだろうが……」
と、ぽつりと呟いた。
しばらく誰も言葉を返す事が出来ない。その沈黙を破ったのはディルだった。
「そのザードって人がいい人か悪い人かは分かんないよ。でもさー、これ、その人が遺した物には違いないんでしょ?」
唐突にそう言って、手にしたままの箱をライの方へ突き出してみせる。
「開けてみれば、何か分かるかもしれませんわね」
「依頼の差し止めと言っていたが、俺達も一度受けた依頼をこのまま放棄するつもりはないぞ」
シグルーンとラッシュもきっぱりそう言って、ライとマリウスを交互に見やる。
「中に入っているのが魔法力の秘密ではないとしたら、何が入っているのか……それはわしらには分からんし、興味もある。だからこそ、研究を打ち切らせる事もせず見守っておったのだ。依頼の差し止めは撤回しよう」
ライもうなずいて再び一同を見渡し、最後にマリウスに目を留めた。
「お主らの働きに期待しておる。頼んだぞ、マリウス」
「分かりました、もう一度頑張ってみます」
先ほど急速に萎えた意欲を奮い立たせるように、マリウスも大きくうなずいてみせた。
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